元旦から地元石川で地震が起きて、故郷について思うこと。
私はいま海外にいて、地元から離れていて、何もできない。
地震が起きたとき、私はオーストラリアで元日から働いていました。
仕事が終わってスマホを手にとると、離れた友達から「家族は大丈夫?」とか「すごい揺れやった、、」というLINE通知がたくさんあって、それでやっと地震のことを知った。地震は元日にもやってきて、まったく日を選んでくれないんだって思った。
離れた場所にいて、スマホに入れているSIMカードだって海外のもの。故郷でどんなに大変なことが起こっていても、当然スマホから警報が鳴るわけもない。自分から連絡をするとか調べないと情報も一切入ってこない。家族の状況、みんなはどう過ごしているのか…どれもこれも電話しないと分からない。
「海外に住んでいたら、家族に何かあったときでもすぐには駆けつけられない」とは前から分かっていました。
頭ではそう理解していたものの、本当にその「何か」が起こってしまったとき、家族や友達に連絡をとって状況を知ることくらいしかできない自分の無力さを感じています。
家族から、地元から離れるってこういうことかと知った。
地震大国の日本に生まれながら、私は運よく震度5以上の揺れを経験したことがない。
小さい頃や去年、能登で大きな地震があったときだって地元ではたいして揺れなかったし、死傷者の数もこんなレベルではなかった。
それが、今回は能登から離れた地元でさえ震度5以上の揺れがあって、大津波警報が出て、私の家族もみんなで避難していたほどだった。
恥ずかしいお話だけれど、これまで他の地域で災害が起こったときには「大変だ…募金しよう」とは思うものの、どこか他人事に感じている自分がいたのが正直なところ。
それが、一気に「身近に起きていること」として感じられるようになりました。
★★★
今のところ、自分の家族や友達はみんな無事だけれど、なかには厳しい状況にいる親友もいる。どうにかならないかと一緒に調べたり、ニュースやSNSを見ていると「自分の故郷では大変なことが起きているのに、自分だけがこんな所で日常を楽しめない」という気持ちにもなる。
一方で、オーストラリアでも地震のことがニュースになっていたみたいだけど、こちらでは当たり前に「普通の日常」が動いている。お正月に重きを置く文化でもないらしく、アデレードでももう「ただの平日」になっている。
(正直に、この気持ちをインターネットに残していいのか分からないけれど)
そんな場所で 自分だけが悲しみに落ち込み、日常を楽しむのも自粛したところで、いったい何の役に立つんだろうか?と思う自分もいる。
実際には お出かけしたり楽しく過ごせる瞬間はあるものの、SNSを見たり地元や仲良しの人たちのことを思うと、とても明るい気持ちではいられなかったりする。毎日のように更新しているインスタのストーリーも、写真は撮っても今は楽しい投稿をする気になれなかったり。
私がフォローしている石川県民たちは地震が起きてから、楽しいお出かけの様子や美味しそうな写真、今年の抱負なんかをストーリーに上げている人が1人もいなかった。
いつも更新している人でさえ発信していないか、地震関連のことを拡散している積極的な人がいるくらい。年始を楽しんでいる人のストーリーが1つもないの。
そういう投稿をする気になれないのは自分も同じだけれど、みんなはどう過ごしていますか…?
★★★
去年の末ごろから「私はやっぱり地元の石川が大好きで、大切な人たちの近くに住みたいな」と思ってた。今はオーストラリアにいるけれど、ここでやりたいことを成し遂げたらビザを延長せずに帰ろうかな…って感じ。
その気持ちが、地震が起きたことでさらに強くなりました。
できるだけ大切な人たちの近くにいたいです。
離れた海外で いまの私にできることは本当に少ない。
「まずは募金から…」と思ってお金を払おうとすると、「不正アクセスの可能性があります」とか出てきて叶わず、自分の故郷で起きたことなのに悲しくなったり。
それなら他に何ができるのか?
もし困っていることがあれば一緒に調べたり、地震の話題に疲れたら ぜんぜん違うお話だってできる。仲良しの人たちには特に、「何かあったら(何もなくても)いつでも、ゆるっと連絡してね」という気持ちです。
実家のある地域では 大した被害はないし、もう普通の生活ができているとのこと。
インターネットでしか情報を得られないから大変な状況ばかりが目につくし、もしかしたら私のほうが大袈裟に捉えているのかもしれない。
それでも、大切な人たちや大好きな故郷を想う気持ちは変わらない。
大変な状況にいる親友や、辛いムードになっている人たちに寄り添う気持ち。
なんでも連絡してということを伝えたくて、ブログを書いてます。
帰ったら何ができるんだろうか。。石川に帰ったところで、そもそも地震のときにその場にいたとて、自分には何もできないのかもしれない。
ただ、石川県に住んでその土地でお金を遣って、他県の人たちに「石川はステキなところだから、ぜひ来てね!」って言えるくらいかもしれない。
それでも、どうかみんなで前を向いてもっともっとステキな場所にできますように。
能登はお年寄りばかりの地域で、珠洲なんて去年大きな地震が起きたばかり。
日本で働いていたとき、地震からしばらく経って珠洲の取引先へ電話したことが忘れられない。電話先の声も疲れていて、「ここは年寄りが多いから、町のみんなも疲れてるしまだまだ楽しいことをするような、取引ができるような元気はない状況なんです。」と言われた。
そのときから、たった半年しか経ってないのよ。
★★★
こういうときこそ若いチカラが必要だと思うの。
「いまの自分には何ができるか」「いざ災害が起きたらどう動くのか」しっかり考え、身近にいる大切な人たちとも話し合うことが、すぐに私たちにできることなんだと思います。
考えるべきことはたくさんある。
すぐにでも物資を届けたい気持ちもすごく分かる。だけど、通れる道も限られて整っていないのに、「一般のクルマで渋滞をつくり、緊急車両が通れなくなる」ことはあってはならないこと。
それなら「水も食料も安定しないところで避難しているお年寄りの家族」を個人のクルマで迎えにいくのは、一体いつから動いていいのだろう?
・すぐにでも避難しなければいけないとき、飼っているペットはどうするのか?
・何かが起きてしまったときに家族みんなが逃げられるように、平時から話し合っておく必要があるよね
・避難のときはクルマで逃げるべきなのか、それを乗り捨てるべきタイミングはいつなのか
・電話も繋がらなくなったとき、どこで集まれるようにするのか …などなど。
こういうことをきちんと考え、前もって家族や大切な人たちと話し合っておくことが「すぐにでもできること」なんだと思います。
ニュースが更新されるたびに、安否不明と亡くなった人の数が増えていく。いったい、どんな大変なことが起こったのか。時間が経つにつれて「どれだけの被害があったのか」が分かってくる。
そういう現実をきちんと知ることも、私たちができること。
★★★
ニュースやSNSで流れてくるのは どこも「遠い県外のお話」ではなく、見知った地名や馴染みのある場所だったり。ずっとずっとスマホを見ていると、本当に悲しくなってしまいます。
そういうときは、スマホを置いて目の前の暮らしに集中してみるのも大事なこと。
前を向いていくために、心を追い詰めないために。
どうか、これから余震とか起こりませんように。
ではまたね。